2012年03月24日

聖書の預言と沖縄のわらべ歌との類似性について

「ウチナtomoehoshi02.jpg〜moonのチムグクル」&「タルム〜ドの心」
               その4
ハイサイ!
Are you チャ〜ガンジュ〜!

 
 世界で最もよく売られている書物は、何ですか?、ご存知でしょうか?
そうです。聖書です。1年間に、一体、どのくらい売られているのでしょうか? 
何と、3,500万冊売られている、超ベストセラーです。

 
 聖書は世界で最も多く翻訳されている書物です。国際補助語協会によりますと、世界の諸言語はおよそ2,500から3,500あると推定されています。聖書は286の言語に翻訳され、そして 2,167(1996年12月現在)の言語に部分的に翻訳されています。

 
 聖書は世界で最も高価な書物です。それは、1987年 10月22日、ニューヨークのクリスティーブの競売で、東京の丸善が世界最高額の8億円で「グーテンベルクの聖書」を落札しました。

 
 世界で最も多く売れて、最も多く翻訳されて、最も高価な書物である聖書とは, どのような書物なのでしょうか?
 
 聖書の最も古い部分は、紀元前1,500年頃に書かれました。最も新しい部分でも紀元100年頃に書かれました。


 それだけではありません。
 
 聖書は、約1,600年間にわたって約40人の、異なった時代の、異なった身分の、異なった職業の、異なった場所で書かれたにもかかわらず、完全な調和と統一性があります。


 何故でしょうか?
 
 聖書を書いた著者たちの身分、職業は千差万別です。一国の王から羊飼い、農民,漁師、取税人、医師などさまざまです。一般的に、国を支配する王と支配される住民の考え方の違いは明白です。また時代を経て、住む場所における考え方の違いも明白です。にもかかわらず、有り得ないはずが、しかし事実として、聖書は、現在も存在しています。


 1,600年間という長き時代における人間の文化や価値観、考え方の違いは計り知れないものがありますが、すべてを乗り越えて、完全な調和と統一を持って、強い意志と信仰の下で、書き上げられました。まさに奇跡だと言わざるを得ません。

 そのカギは、何でしょう? 実は本当の著者は、この地球を始め万物を創造された「真の神様」だからです。

 
 歴史学者としてオリエント史を研究されています三笠宮殿下が、なぜ歴史を学ぶようになったかについて次のように述べています。

「私は、戦時中に敵を知ろうと、キリスト教を調べ、聖書にぶつかった。初めは文明を誇る白人がなぜこのようなものを信じるかと笑ったが、
聖書が歴史的に事実だと知った時、聖書から離れられなくなった。」と・・・

 
 かつて聖書がねつ造した民族と歴史家が笑ったヘテ(ヒッタイ)人の遺跡が出現し、バビロンやカルデヤのウルの都が砂漠から顔を見せ、ヨシュアが火をかけて破壊したエリコの焼け跡が発見されました。歴史的な事実に反する書として攻撃を受けた聖書は、考古学の発見によって、歴史的な事実の書であることが証明されました。


 その結果、書き直されたのは、人間の書いた歴史書の方でした。

 また聖書と言えば、科学に反すると多くの人が考えています。しかし、事実は科学的な証明が聖書と一致してきたのです。

「彼は北の天を空間にはり、地を何もないところに掛けられる。」 (ヨブ26:7)


 聖書は何千年も前から、地球は何もないところに、浮かんでいると語っています。この事が事実であるとすべての人が認めたのは、
人類が宇宙空間から地球を眺めることができるようになってからです。


「地は印せられた土のように変わり、衣のようにいろどられる。」 (ヨブ38:14)


 聖書は、何千年も前から、地球は自転していると語っています。その当時、刻印を押すためには、円筒形の印章のついた物を粘土版の上に転がして刻印を押していた。地球が「刻印を押された粘土のように変わり」とは円筒が回るように地球も自転して「衣服のようにいろどられる」とは、1日が( 朝、昼、晩、)と変わり、1年が( 春、夏、秋、冬 )と移り変わっていく地球の様子が示されています。


 聖書の中で預言されたことは、すべて成就します。それは歴史が証明しています。

 
 今回は、多くの預言の中からユダヤ人自身の国が一度、滅亡し、そして再び再建されたことについて、一緒に検証しましよう。

紀元前およそ1,500年に聖書はユダヤの国の滅亡と再建について預言しました。

● ユダヤの国の滅亡について


「主は、遠く地の果てから、わしが飛びかかるように、一つの国民にあなた(ユダヤ人)を襲わせる。その話す言葉があなたには分からない国民である。その国民は尊大で、老人を顧みず、幼い子を憐れまず、家畜の産むものや、地の産物を食い尽くし、ついに、あなたは死に至る。」  (申命記28:49〜51)


 歴史では紀元70年、ローマのティトス将軍によって、ユダヤの首都であったエルサレムは陥落しました。


「わしが飛びかかるように」とは、実はローマの軍旗がわしでした。ローマ軍はわしの軍旗を掲げながら、国々を侵略していきました。また、歴史はローマ軍が残忍な軍隊であったことを証明しています。


「その国民は、あなた(ユダヤ人)の国中のすべての町を囲みあなたを包囲し、ついにあなたが頼みとする堅固な高い城壁をことごとく打ち崩し、あなたの神、主が賜った国のうちのすべての町々を攻め込むであろう。あなたは敵に囲まれ、激しく攻め悩まされて、ついにあなたの神、主が賜ったあなたの身から生まれた者、息子、娘の肉を食べるに至るであろう。」 (申命記28:52〜53)

 
 紀元70年ローマ軍がエルサレムを包囲した時、多くのユダヤ人たちは、エルサレムが陥落するはずがないと思っていました。
何故なら、エルサレムは北側を除いて、三方が谷に囲まれていたからです。このためエルサレムは天然の要塞になっていました。
一つだけ残された北側の入リ口も三重の城壁に囲まれていたからです。

 
 天然の要塞と三重の城壁に守られていたエルサレムを、ローマ軍は包囲後143日目に、陥落させました。

ローマの歴史家ヨセフスはこの時の模様を「ユダヤ戦記」のなかで詳しく述べています。ユダヤ戦記によると143日におよぶ包囲のために、
エルサレムでは、餓死の為に人肉が食べられていたと、はっきりと記されています。

● ユダヤ人が再び国を持つことについて

「あなたの神、主はあなた(ユダヤ人)を囚われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び集める。たとえ、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。」  (申命記30:3〜4)

 
1948年5月14日、聖書の預言を知る多くの人々は、「奇跡だ」と叫びました。ユダヤ人が国を持ったからです。
1948年5月14日、ベン・グリオンはテル・アビブにおいてイスラエルの独立を宣言しました。
独立の翌日、かねてより、不満を抱いていたエジプト、シリヤ、ヨルダン、レバノン、イラク、サウジアラビヤ、が同盟を結びイスラエルに攻めてきました。

 
 戦前の予想では、圧倒的にイスラエル側が不利でした。少数の武器と兵士しか持たないイスラエル軍がアラブ同盟軍と戦ったのです。
しかし、イスラエル軍は勝利を勝ち取りました。その後、三度の中東戦争がありましたが、イスラエルは現在も、国家として存在しています。

 聖書の預言は、絶対ですね。そして感心するほど、必ず成就するのです。


 それは、何故でしょうか?

 聖書が真の神様によって、預言者たち、使徒たちを通して書かれた書物であるからこそ、一字一句の預言が完全に成就するのです。


 皆さんは、聖書が、「旧訳聖書(創世記〜マラキ書)39巻」と「新約聖書(マタイ伝〜黙示録)27巻」の二つから成り立っていることを、ご存知でしたか? そして、聖書は一冊の書物ではなく、66巻の書物から成り立っています。しかし、これですべて完成したわけではありません。 これからも、古い巻物が出てくる可能性があります。  「イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。
もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。」 (ヨハネ21:25)


 私は旧訳聖書の中では、イザヤ書が一番好きです。その書物の中に、イエス・キリストの生涯とその使命、この末の世に救い主、自ら再臨されること、そして救い主が統治される福千年(幸福と平和な時代)などの預言が、詳しく述べられているからです。

 
 特にイザヤ49章は、特別な思いと熱い救い主の愛を感じます。それは、これから起こる、数々の預言の始まりであり、沖縄には、数多くの風習やわらべ歌などがあります。それが、ユダヤの風習や聖書の教えと類似性があること、本当に驚かされます。


 前回、この「ウチナ〜moonのチムグクル」の、(その3)で、赤田首里殿内の童歌について、もう少し、お話することを約束しましたよね。


 「赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)は、現在の沖縄県那覇市首里赤田町において、琉球王朝時代から、石川家を中心に行われてきた祭礼「弥勒迎け(みるくうんけー)」とは、「弥勒様をお迎えしましょう」と言う唄のわらべ歌です。


 昭和初期に途絶えていたが、1994年(平成6年)に復興された。現在では沖縄民謡曲として三線と一緒に歌われたり、沖縄都市モノレール(ゆいレール)の首里駅の案内音声にオルゴール音に編曲されたものが用いられたり、今なお、沖縄県内で親しまれています。

八重山で歌い継がれている弥勒節の一つでもあります。  わたしも、大好きなわらべ歌です。


概要


 沖縄地方に点在する「弥勒」信仰自体は、各地で独特の習わしに従い、行われているものであった。そして、それは、本来的な弥勒信仰とは異なり、沖縄古来の土着信仰である「ニライカナイ」や豊穣祭などといった様々な祭礼と弥勒信仰が混ざり合った形となっているものです。
 さらに、「弥勒の世果報」を期待することを唄いあげていますが、赤田町やほかの沖縄地方の「弥勒迎け」においては、ユーモラスな出で立ちと「布袋」の仮面が使用されています。 笑いながら、子供たちを引き連れて歩く姿は、心がなごみますね。


歌詞を紹介します。


1.赤田首里殿内 黄金灯籠提げてぃ 
 (あかたすんどぅんち くがにどぅーるーさぎてぃ)
  
「首里赤田村の首里殿内に 黄金に輝く灯籠を掲げて 」
 
 うりが灯がりば 弥勒御迎え  
 (うりがあかがりば みるくうんけー)

 
「それが明るく灯ったならば 弥勒様をお迎えしましょう 」


(囃子)  
    シーヤープー シーヤープー ミーミンメー ミーミンメー 

    
    ヒージントー ヒージントー イーユヌミー イーユヌミー 


2.大国の弥勒 我が島に往もち 
 (だいくくぬみるく わがしまにいもち)

「大国の弥勒 私の島にもおいで下さい 」

 御拡きぼせみそうり 弥勒世果報 
 (うかきぶせみそうり みるくゆがふ)
 
「そして広めて下さい 弥勒の太平の世「ゆがふ」を 」

(囃子)  繰り返す

3.弥勒世ぬ 昔繰り戻ぅち 今に  
 (みるくゆぬ んかし くいむどぅぅち なまに)
 
「弥勒世(豊年の世)の昔を 今に戻して 」

 御万人ぬまじり、遊ぶ 嬉しや  
(うまんちゅうぬまじり、あしぶうりしや)
  
「万人の人が 皆、遊ぶ 嬉しさ 」
 
(囃子)  繰り返す


4.道々の巷 唄歌てぃ遊ぶ 
 (みちみちぬちまた うたうたてぃあそぶ)
 
「道々のそこかしこ みんなが唄を口ずさむー平和な世の中 」


 弥勒世の世果報 近くなたさ  
(みるくゆぬゆがふ ちかくなたさ)
  
「弥勒の「ゆがふ」が 近くなってきたようだよ 」

(囃子)  繰り返す

歌詞の内容を簡単に説明しますと次のようになります。


 昔は、首里殿内(現在の首里城)は赤田村にありました。
 
「首里殿内全体に黄金の灯籠をかざして、真昼のように輝かして、弥勒様をお迎えしましょう。
 大国の弥勒様 我が島にもお越しください。お待ちしております。
 そして、弥勒の平和と幸福な世「ゆがふ」を、教え導いて、広め、与えて下さい。

 昔あった弥勒世(楽園の世)を今に戻して、万人の人が、皆、もう一度、心から喜んで楽しむこと
 ができるようにして下さい。
 島々のいたるところで、みんなが歌い喜んでー平和と幸福に過ごす世の中にしてください。
 その輝かしい弥勒の世(ゆがふ)も、もう間近にせまって来てますよ。」と・・・

私たちの先祖は、毎日、赤ちゃんや幼い子を背中に負ぶって、あやしながら、歌って聞かせていたのです。

 
 この童歌は、NHKの「みんなの歌」でも紹介されて、全国的にも親しまれるようになりました。
 
特に、囃子の振付のところが、可愛らしいそぶりで、子供たちが楽しく、歌って踊っています。

 
 シーヤープー シーヤープー
(振りは、ほほを膨らませて、両人差し指をほほに付けて、頭を左右に振る。)
 
 ミーミンメー ミーインメー 
(振りは、両手で、耳を下に引っ張り、頭を左右に振る。)


 ヒージントー ヒージントー 
(振りは、曲げた肘を左右交互に、下から叩く。)

 
 イーユヌミー イーユヌミー 
(振りは、右の人差し指で、左の手のひらの真ん中を突く。そして左の人差し指で、 右の手のひらの真ん中を突く。)


 囃子言葉が変わるごとに、口、耳、肘、手のひらを動かす動作が、何故か、イザヤ書49章を読んでる時に感じたことと同じ篤いものを感じました。

 
シーヤープー シーヤープーの振りから、イザヤ書49:2を読めば、
「矢は口にしまい、何も言わないで、静かにしてね。」になる。
 
ミーミンメー ミーミンメーの振りから、イザヤ書49:1を読めば、
「海沿いの島々よ、わたしに聞け、遠いところのもろもろの民よ、耳を傾けよ。」になる。

ヒージントー ヒージントーの振りから、イザヤ書49:4を読めば、
「わたしはいたずらに骨折り、むなしく力を費やした。」になる。

 
イーユヌミー イーユヌミーの振りから、イザヤ書49:16を読めば、
「私はあなたを忘れない、手のひらにあなたを彫り刻んだ。」になる。
 
 「イーユ」とは、沖縄の方言で、「魚」のことです。「ヌミ」とは、「の目」のことです。ですから、「イーユヌミー」とは「魚の目」になります。

 
 初代キリスト教会の人々は、自分たちがクリスチャンであることを示すために、しばしば、魚のマークを用いた。その理由は、魚を表す
ギリシャ語(イクスース)の各文字が、それぞれ、「イエス」「キリスト」「神の」「子」「救い主」という五つのギリシャ語の頭文字に該当する
からです。


「イーユヌミー」とは「イエス様が見ていますよ!」と言う意味が込められていますね。ですから、どんなにつらく苦しくても、不平を言わず、主の御言葉に、耳を傾けて、無駄なように見えても、どんな困難にも堪え忍んで、弥勒世果報(福千年)を待ち望みましょう。
それはもう真近に迫って来てるよ!

 勇気を出して、頑張ろう!!とわたしたちに、幼いころから、呼びかけている童歌だと思います。

 わたしたちの人生への応援歌のようですね!

 
 仏教の教えの中に、弥勒菩薩は、仏陀が没してから、56億7千万年後に、地上に降りてきて、人々を救済するとされています。弥勒菩薩の語源を調べた結果、「弥勒の原語であるインドのマイトレィアは、中国ではミレフ、日本ではミロクで、これはヘブライ語のメシア、ギリシャ語のキリストである。」と結論付けています。
 
 ヘブライ語の「メシア」が、インドでは「マイトレィア」、中国では「ミレフ」、日本では「ミロク」となったのですと・・・、仏教史学の権威者エリザベス・ゴードン女史が述べています。

 
 沖縄では、お祭りや結婚式など祝い事の最後に、参加者全員で、一緒に喜びを分かち合うために、三線や太鼓に合わせてカチャーシーを踊ります。沖縄の結婚式に参加した、あるユダヤ人の女性が、カチャーシーを見て涙を流していたそうです。きっと、遠い故郷を思い出していたのでしょう。

 
 ユダヤの結婚式について、yahoo で検索したところ、式の終りに、白いウェディングドレスの花嫁が、親戚の人たちと、にこやかに両手を上にあげて、手首をまげて、踊っている写真を見た時、まさにカチャシーを踊っていると・・・、感動しました!

 「百聞は一見に如かず。」 あなたもご覧になってください!


 琉球音楽は世界的にも珍しく、三本弦の楽器は世界の中で三線だけです。どうして沖縄と日本にだけに三味線があるのだろうか? 
実は、旧訳聖書に三本の弦で作った楽器が出てきます。

 それは、ペリシテ人が戦いに備えて軍隊を招集して、イスラエル軍に相対したとき、ペリシテ軍の一人の戦士ゴリアテ(身長が2.98cmの巨人)が、イスラエル軍に向かって、「今日、イスラエルに挑戦する。相手を一人出せ、一騎打ちだ。」 「もし私を打ち取るようなことがあれば、我々は、お前たちの奴隷になろう。だが、わたしが勝てば、お前たちが奴隷となって、我々に仕えるのだ。」と、それを聞いたイスラエルの全軍は、恐れおののいたのです。

 
 しかし、そこで羊飼いのダビデが選ばれて、彼とたたかった。身に付けていた投石袋から、小石を取り出して石投げ紐を使って飛ばした。石は見事ペリシテ人の額に命中し、深く食い込んで倒れたので、彼を討ち取った。奇跡的な勝利に、イスラエル軍は、大喜びで凱旋しました。


「皆が戻り、あのペリシテ人を討ったダビデも帰ってくると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、太鼓を打ち、喜びの声を上げ、三弦琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた。」とあります。(サムエル記上18:6) どんなに、喜んだことでしょう。

 太鼓はパーランクーで、三弦琴は三線で、喜びを全身で表す、軽快で、自然的な歌と踊りは、早いテンポのカチャーシー以外には考えられませんね。

あなたはどう思いますか? 

 聖書の教えと沖縄の文化や童歌が、これほどまでに、類似していることは、単なる偶然ではなく、そこに深い神様の御心と愛を感じます。
まだまだ私たちが、知らない数多くの驚くべき預言が、沖縄の風習やわらべ歌に隠されているように思います。
 これからも、ご一緒に探究していきましょう!

 
 
 
 
 
 
 


 

posted by 沖縄のホフマー at 00:29| Comment(0) | 沖縄・ユダヤ文化の類似性 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

沖縄の伝統と聖書の教えとの類似性について

「ウチナ〜moon のチムグクル」&「タルム〜ドの心」
                                                     その3

tomoehoshi02.jpgハイサイ!
Are you チャ〜ガンジュ〜?

沖縄には、数多くの伝説や風習があります。特に、信仰に関して、ニライカナイ信仰、御嶽信仰、祖先崇拝、オナリ信仰、火の神など、数々の霊的「パワースポット」があります。今、一番観光客から注目を浴びている場所ですね。それらは、すべて神にかかわるもので、先祖代々、子孫の繁栄と幸せのために受け継がれてきました。それゆえ沖縄は「神々の島」「信仰篤き民」と呼ばれています。

事実、その通りだと思いますが、何故、沖縄にだけ特別なのか? わたしには理解できませんでした。しかし、聖書の中に、主は言われた「私にはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるであろう。」(ヨハネ10:16)とあります。

この聖句を読んだとき、何故か、胸が熱くなりました。沖縄にあるこれらの信仰は、別々のものではなく、聖書の教えと深く結びついていることを発見しました。「沖縄流的心」と「ユダヤ流的心」の類似性について、沖縄のルーツを共に検証してみましょう!本当に面白いですよ。 いにしえのウチナ〜チュの心意気を感じます。

1.人類発祥神話 (古宇利島とエデンの園)

 古宇利島の神話

昔、古宇利島に男の子と女の子が住んでいました。二人は生まれたままの姿をはずかしく思わず、毎日、天から神様が落としてくれる餅を食べて暮らしていました。ところが、知恵のついた二人が食べ残した餅を蓄えるようになったのを知った神は、その日から 餅を落とすのをやめてしまいました。(餅のことをヘブライ語で「マナ」といいます)

二人は、嘆き悲しんで、天のお月様にむかって「大きな餅を恵んでください」と、何回も懇願したが、餅は二度と落ちてきませんでした。

ある日、二人は浜辺で、ジュゴンの交尾を見て、初めて男女の交わりを知り、お互いの裸をクバの葉で隠すようになりました。そして生きるために働きました。古宇利島の住人はこの二人の子孫であり、ここから琉球の島々に人々が増えていったと伝えられています。

 聖書のアダムとエバ

「神である主は、自分の形に創造し、男と女に創造した。……そして、東の方、エデンに園を設けて、その造った人をそこに置いた。」(創1:27、2:8)

「しかし、神は上なる大空に命じて、天の戸を開き、彼らの上にマナを降らせて食べさせ、天の穀物を彼らに与えられた。」(詩78:23〜24)

モーセは言った「誰も、それを、朝まで残しておいてはならない。」(出16:19)

2.祭壇の生け贄(義本王とイサク)

 義本王の生け贄 (玉城城の神話)

義本王は琉球国最初の王統「舜天王統」の三代目の国王で44歳で即位しました。しかし、義本王が即位してのち、飢饉と疫病で国民の半数が死んでしまいました。失意の王に、白髪の老人が現れて「神様の心をなだめるためには、祭壇を設けて、火あぶりにしなければならない。」とすぐに祭壇が作られ、 義本王は縄で縛られてしまいました。白髪の老人が火を放ちました。火は勢いよく燃え上って、王の身体に燃え移ろうと したその瞬間、大地が揺れるほどの大落雷とともに、大雨が降りました。火は消え、「これは神様のお赦しがあった。」と白髪の老人が言いました。そして神様に感謝しました。(王様自身が、いけにえにされると言う伝説は、初めて知りました。 珍しいですね。)

 聖書のイサクの生け贄

神は言われた「あなたの子、あなたの愛するひとり子を連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしが示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」……アブラハムはその所に祭壇を築いた。そしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。アブラハムは手を伸ばし刀を取って自分の子イサクをほふろうとした。その時、主の天使が、彼を呼び、「わらべを手にかけてはならない。また、何も彼にしてはならない。いま、わたしはあなたが神を恐れる者であることが分かった。」(創22:2、9〜12)
 
この場所は、聖地であり、後世には、エルサレム神殿が建てられ、シオンの山とも呼ばれました。イエス・キリストが十字架にかけられた地でもあります。

3.誕生秘話 (尚円王とモーセ)

 尚円王の誕生秘話

昔、自分の赤子を亡くし、いつも嘆き悲しんでいる一人の伊是名の漁夫がいました。ある日、浜辺を歩いていると、波間に浮かぶ不思議な朱塗りの桶を見つけました。漁夫はすくい上げ、ふたを開けて見て、驚きました。赤子が入っていたのです。丁度、愛児を亡くしたばかりで、悲しんでいた漁夫は「神がさずけた、わが児の再来だ」と、とても喜んで連れ帰り、夫婦で大切に育てました。

夫婦の愛情を一身に受けて、赤子はすくすく育ち、やがて村でも評判の孝行な若者に成長しました。そして、その若者こそが、後に19代400年もの間続いた第二尚氏王統の始祖「尚円王」その人であったと伝えられています。その子が誰の子か、いまだに不明ですが、一説には義本王の流れをくむ者が辺土名の沖より流した赤子だと伝えられています。

 聖書の モーセの誕生秘話

さて、レビの家のひとりがレビの娘をめとった。女は身ごもって、男の子を生んだ。その可愛いのを見て、三か月の間隠していた。しかし、もう隠しきれなくなったので、パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中においた。……パロの娘が、身を洗おうと川に降りてきて、葦の中 の籠を見つけて、開けてみると、子供がいた。

……その子が成長して、パロの娘の息子になった。彼女はその子をモーセ名づけた。「水の中から私が引き上げたからです。」(出2:1〜10)後に、このモーセが、400年間、エジプトで奴隷になっていたイスラエルの民をエジプトから脱出させ、約束の地カナンに導き、神の民として歩む道を示した。

4.金の香炉 (首里城とソロモンの神殿)

 首里城の火の神  (テンペストの映画の中に出てきますよ)

沖縄の信仰の原型は、火の神です。昔から、女性は、火を絶やしてはいけないと言われていました。拝所には、通常三個の自然石を置いて、火の神として祀られています。首里城も例外ではなく、首里城正殿の二階おせんこみこちやの間には、火の神が祀られており、金の香炉があります。国王と神女が信仰を代々守ってきました。沖縄では、火の神といいます。この信仰は、どこから来たのでしょうか?

実は、ソロモン神殿にも同じかたちの金の香炉が置かれていたのです。大祭司以外は、そこに入ることは許されませんでした。

 聖書の祭司としてのレビ族

「また、第二の幕のうしろに、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。そこには金の香炉と、全面金でおおわれた、契約の箱とが置かれ、その中には、マナの入っている金のツボと、芽を出したアロンの杖と、契約の石板とが入ってあり、」(ヘブル9:3〜4)

「また、別の御使いが出て来て、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈りに加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。」(黙8:3)

「アロンは、そのうえで香ばしい薫香をたかなければならない、朝ごとに、ともしびを整える時、これをたかなければならない。アロンは、また夕べにともしびをともす時にも、これをたかなければならない。」(出30:7〜8)

5.王の門 (首里城とエルサレム神殿)

 首里城の継世門

首里城の継世門は、外郭の門。すえつぎ御門。世継ぎの王が外からこの門を通って入られたので、その後、閉じられたままの門になっています。

 聖書には、次のように書かれています。

「彼が私を、聖所の東向きの外の門に連れ戻ると、門は閉じていた。主はわたしに仰せられた。「この門を閉じたままにしておけ、開いてはならない。ここから誰も、入ってはならない。イスラエルの神、主が、ここからはいったのだから、 これは閉じたままにしてけ。」(エゼキエル44:1〜2)

赤田町の弥勒(ミルク)祭りのとき、弥勒が子供たちを祝福しながら歩く、その時立ち寄るのが、継世門です。その門の階段に上り、祝うのです。弥勒は鉄の杖を持って歩きます。「赤田首里殿内」の古い琉歌については、次回、詳しく話しましょう。

「……彼は、鉄の杖を持って諸国民を治め、また、全能者である神の激しい怒りの酒ふねを踏む。その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」と言う名がしるされていた。」(黙19:15〜16)

 聖書の東の門

首里城の、この継世門には、右下から水が流れる口があって自然石が敷きつめられている。

エルサレム神殿の東の門にも、神殿の右下から水が流れる口がある。

「彼はわたしを神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れでていた。神殿が東に向いていたからである。」(エゼキエル47:1)

6.聖地巡礼「東御廻り(あがりうまーい)」

沖縄にも、東方を巡回する年中行事がある。始祖アマミク族が、ニライカナイから渡来して住み着いたとされる聖地を巡拝する神行事です。天孫子ゆかりのある数か所の聖地が、首里城から見て、太陽が昇る東方に位置する東四間切(あがりゆまじり)、現在の、南城市玉城、知念、佐敷、大里に点在していることから、「東御廻り」と呼ばれています。

コースは、首里城の園比屋武御嶽→与那原新川→馬天御嶽→佐敷上城→知念ティダ御川→斎場御嶽→知念グスク→知念大川→ヤハラズカサ→受水走水→仲村淳樋川→ミントングスク→玉城グスク→そして園比屋武御嶽です。馬天御嶽から船に乗って久高島まで足を伸ばすコースもありました。この拝所は、ほとんどすべてが、聖水があります。井戸,樋川など、拝所ごとに様相は違っても、そこには香炉が置かれ、あたりに聖水の霊力が漂っている。

琉球王朝時代、国王と聞得大君による、国の繁栄と五穀豊穣を祈願するための神事として始められたものですが、やがて王族や士族だけでなく、平民層にも及び、三線やパーランクー(太鼓)を持参して、歌い踊りながら、楽しく廻ったようです。そして、門中行事として広まりました。

一方、聖書によると、イスラエルの民は、エジプトの地に400年間、奴隷の身で拘束されていました。そして、預言者モーセによって、エジプトから解放されて、荒野に脱出しましたが、すぐに約束の地、カナンに入ることができませんでした。彼らは東廻りをして、シナイ山にいき、神との契約である。「神の民」として、十戒を授かりますが、40年後にカナンの地に入ることが許されました。

荒野で仮の家に住んでいたことを思い起こす祭りとして、毎年,旧暦8月15日に「仮庵の祭り」を行っています。それは、「エルサレム巡礼」と言って、エルサレム市内のシロアムの池から神殿へ、男たちが黄金の器で、「生命の水」をくみ、夜にはシュロのたいまつを掲げて、楽器を持って、賛美を歌い、踊りながら運び、神殿に捧げました。

7.祖先崇拝(沖縄の位牌)

祖先崇拝の中心は、その位牌にあります。沖縄の各家庭に奉られています位牌には、たいてい、上下二段になっていて、中央に「帰真霊位」という文字が書かれています。この意味は、「人の霊は、死んだら、真の神のもとに帰る。また、人は土から造られました」と……。

上段には、男性の名前、下段には女性の名前が記されるように、個々の霊位が記入できるように木札がはめられています。その木札の裏には、その人の、生年月日、と死亡年月日が記されています。しかも、亡くなった順序に従い、右、左と交互に記入されます。女性の場合も同じです。

祖先崇拝では、人が亡くなってから、三十三年たったら、神になると信じられています。ですから、法要は、三十三年忌で終わります。何故でしょうか?

一方、聖書には、主なる神は、「土のチリで、人を造り、いのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きたものとなった。」(創2:7)

「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。」(伝道12:7)

イエス・キリストは33年間、この地上で生活して、教えを説かれ、多くの人を癒し、慰め、励ましてくださいました。十字架上で、全人類の罪を贖うためにお亡くなりになりました。そして、三日目によみがえりました。

「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。」(コロサイ3:1)と書かれています。すなわち、イエスは、よみがえられてから、神になられました。

わたしにとって、一番の「パワースポット」は、やはり首里城だと感じました。あなたはいかがでしようか?あなたのご意見も教えてください。
                                                                  (沖縄のルーツ紀行引用)



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2012年01月10日

沖縄の伝説と聖書の教えの類似性

tomoehoshi02.jpg「ウチナ〜moonのチムグクル&タルム〜ドの心」その2

ハイサイ!
Are you チャ〜ガンジュ〜?


沖縄には面白い伝説がたくさんあります。それらは先祖代々受け継がれ、子孫のために残されてきました。それが「沖縄流的心」すなわち「ウチナ〜ンチュウのことわざ」やおきなわ伝説、風習として今日に至っています。しかも、それが聖書の教えと一致するところが、興味深いですね。

「ユダヤ流的心」との類似性について……
 

●「男はあばら骨が一本たりない」(イキガーヤーソーキブニヌ ティーチタラン)

沖縄の言い伝えでは、男性は女性に比べると、少し子供っぽくて、足りないところがあります。男性が何かへまをした時に、女性がこのように言ってからかいます。そして、「男は女にかかったらおろかになる」ともいいます。

一方、聖書でも「神ご自身にかたどって、人を造り、アダム(男性)を深く眠らせ、そのあばら骨を一本取って、イブ(女)を造った」とあります。(創2:21〜22)「タルムード」には、男と女が、なぜ、ひかれ合うのか、それは、「男は自分のあばら骨を取り戻そうとし、女は自分が出てきた男の胸に帰ろうとするから」だそうです。面白いですね。


●「天孫子の由来」

沖縄の最初の国王は、天孫子であるといいます。天帝(神)が、初めから天の世界(前世)にいたアマミク(イエス)とシネリク(ミカエル)に「この下にまだ島になっていないところがあるので、君たちが降りて島造りをせよ」と言われ、沖縄の神の島を造りました。そして、天帝(神)から男と女の神の子を貰い受けました。

一方、聖書でも、「この方(イエス)初めに神と共におられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたものでこの方によらずにできたものは、一つもない。」(ヨハネ1:2〜3)「神、は人をご自身のかたちに創造された。神、のかたちとして彼らを創造し、男と女に創造した。」(創1:27)と記されています。


●「豚と悪霊」(厄払い)

昔、沖縄では、家の隣に豚小屋(フール)がありました。そして、どこへ行っても豚と悪霊の信仰は伝えられており、夜道で幽霊に会ったときなどは、家に入る前に豚小屋に行き、豚を起こして、鳴かせてから、家に入る習慣がありました。悪霊は豚に乗りかえるものと信じられています。あるところでは、悪疫の厄払いをするのに、豚を海に追い落としました。また全部はもったいないので、頭と尻尾を落としたともいわれています。

一方、聖書でも、「そこで、悪霊どもは、その人から出て、豚の中に入り込んだ。すると、豚の群れは崖から湖へなだれを打って駆け下り、おぼれ死んでしまった。」(ルカ8:33)とあります。
 

●「シーサー」(獅子)

最初、首里城正殿、唐破風の前にそびえ立つ一対の獅子(シーサー)は、口をあけた獅子、そして、口を閉めた獅子、「阿吽」の一対をなしています。その獅子の「阿」は日本語で最初の文字「あ」、そして「吽」は最後の文字「ん」を表すといわれています。その後、沖縄の民家の屋根や門には、シーサーが、魔除けの守りとしておかれるようになりました。

一方、聖書でも、「ことは成就した。わたしはアルファーであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは渇くものには、いのちの水の泉から、価なしに飲ませよう。」(ヨハネ黙21:6)「……わたしは、最初であり、最後である……。」とあります。これは、イエス・キリストを表しています。

「ユダは、獅子の子。わが子よ、あなたは獲物を持って上ってくる。かれは雄獅子のようにうずくまり、雌獅子のように身を伏せる……。」獅子は、古代イスラエルのユダ族の神紋です。もともと沖縄には、いないシーサーが、なぜ沖縄の魔除けとしておかれたのでしょうか?不思議ですよね。もしかして、沖縄とユダヤは深い関係にあるのかもしれませんね。ちなみに、日本の神社におかれている一対は、獅子でなく、狛犬のようです。
 

●「出会えば、みな兄妹!」(イチャリバチョーデー!)


この言葉は、沖縄の心を余すところなく表わしています。私の大好きな言葉です。ウチナ〜ンチュウ(沖縄の人)は、例えば、実の姉や実の兄でなくても年上の人を「ネーネー(姉)」「ニーニー(兄)」と呼びます。親戚でなくても「ネーネー」「ニーニー」、文字通り、初対面の人に対しても感覚は同じです。


一方、聖書でも、イエスは言われた「ごらんなさい、ここにわたしの母、私の兄弟、また姉妹がいる。神の、みこころを行うものは、だれでも、わたしの兄弟、また姉妹、そして母なのである。」(マルコ3:34〜35)と記されています。

posted by 沖縄のホフマー at 09:48| Comment(0) | 沖縄・ユダヤ文化の類似性 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月29日

沖縄・ユダヤの類似性

tomoehoshi02.jpgハイサイ! チャ〜ガンジュ〜ヤミセ〜ンナ〜?
(こんにちは!お元気ですか?)  その1

「ウチナ〜moonのチムグクル」(沖縄流的心)に、なぜ、“moon”(月)が付いているのと聞かれる前に、説明しますね。

それは、沖縄の年中行事は、太陽暦ではなくすべて太陰暦(旧暦)に基づいて行われているので、ウチナ〜ム〜ン(沖縄のもの)と言う語呂合わせで付けました。

ウチナ〜ンチュウ(沖縄人)は、先祖代々、信仰心が篤く、家族と親族との繋がりも強いのです。一門として毎年年中行事が行われ、古来の風習、習慣が現在でも色濃く残っているところもあります。そしてそれがユダヤの文化と非常によく似ているのです。ユダヤでも同じ日(旧暦)に沖縄と同じような行事や儀式が現在でも行われています。

そこで「ウチナ〜moonのチムグクル」(沖縄流的心−沖縄文化)と「タルム〜ドの心」(ユダヤ流的心−ユダヤ文化)に、なぜ類似性があるのか? 一緒に考えてみることにします。

実例として、以下に沖縄の行事とユダヤの行事を列記してみました。

<沖縄の行事>

● 14日 年の夜(トゥシヌユル) 
旧暦正月の前夜(大晦日)新年を迎える儀礼がおこなわれる。 大掃除、門松、(3本の竹が門を表し赤い花は、血を表している)鏡餅、しめ縄を飾る。夜は一家で肉料理等の御馳走を頂く、夜道し起きて夜明けを待つ。そうしないと、魂を抜かれるとか、災いに会うといわれている。

● 15日 正月(祝日)
7日間続く、20日正月。1日が正月だが、15日〜20日にまた、小正月がくる。御馳走を供え、餅(種なしパン)を食べ、20日正月を締めくくる。

● 16日祭(ジュウルクニチ) 後世(グソー)の正月
この日、家族や一族が揃って御馳走やお酒を持って墓参りをして、先祖の正月を祝う。最初に死んで蘇った方(初穂)の祭りであろうとも言われている。

<ユダヤの行事>

● 正月14日 過越の祭り
正月の14日の夕は主の過越の祭りである。 (レビ23:5) 夕暮れに子羊を食し、その血を家の入口の2つの柱とかもいにそれを塗らなければならない。(出エジプト12:6〜7)わたしがエジプトの国を撃つ時滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。(出エジプト12:13)

● 15日 種なしパンの祭り(安息日) 
7日間続く、21日の夕方まで種を入れぬパンを食べなければならない。(出エジプト12:18) 

● 16日 初穂の祭り

「イスラエルの人々に言い、わたしが与える地に入って穀物の初穂の束を祭司の所へ携えてこなければならない。…祭司は安息日の翌日に、これを揺り動かすであろう。」(レビ23:10〜11)

3日間の儀式の中に、新年を迎えるために、主が「約束の民」に与えた契約と祝福の賜物だとわたしは感じていますが、あなたはどう感じますか?       (月刊誌レムナント2005年5月号 p24〜25引用)
posted by 沖縄のホフマー at 22:21| Comment(0) | 沖縄・ユダヤ文化の類似性 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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