2012年02月01日

沖縄の伝統と聖書の教えとの類似性について

「ウチナ〜moon のチムグクル」&「タルム〜ドの心」
                                                     その3

tomoehoshi02.jpgハイサイ!
Are you チャ〜ガンジュ〜?

沖縄には、数多くの伝説や風習があります。特に、信仰に関して、ニライカナイ信仰、御嶽信仰、祖先崇拝、オナリ信仰、火の神など、数々の霊的「パワースポット」があります。今、一番観光客から注目を浴びている場所ですね。それらは、すべて神にかかわるもので、先祖代々、子孫の繁栄と幸せのために受け継がれてきました。それゆえ沖縄は「神々の島」「信仰篤き民」と呼ばれています。

事実、その通りだと思いますが、何故、沖縄にだけ特別なのか? わたしには理解できませんでした。しかし、聖書の中に、主は言われた「私にはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるであろう。」(ヨハネ10:16)とあります。

この聖句を読んだとき、何故か、胸が熱くなりました。沖縄にあるこれらの信仰は、別々のものではなく、聖書の教えと深く結びついていることを発見しました。「沖縄流的心」と「ユダヤ流的心」の類似性について、沖縄のルーツを共に検証してみましょう!本当に面白いですよ。 いにしえのウチナ〜チュの心意気を感じます。

1.人類発祥神話 (古宇利島とエデンの園)

 古宇利島の神話

昔、古宇利島に男の子と女の子が住んでいました。二人は生まれたままの姿をはずかしく思わず、毎日、天から神様が落としてくれる餅を食べて暮らしていました。ところが、知恵のついた二人が食べ残した餅を蓄えるようになったのを知った神は、その日から 餅を落とすのをやめてしまいました。(餅のことをヘブライ語で「マナ」といいます)

二人は、嘆き悲しんで、天のお月様にむかって「大きな餅を恵んでください」と、何回も懇願したが、餅は二度と落ちてきませんでした。

ある日、二人は浜辺で、ジュゴンの交尾を見て、初めて男女の交わりを知り、お互いの裸をクバの葉で隠すようになりました。そして生きるために働きました。古宇利島の住人はこの二人の子孫であり、ここから琉球の島々に人々が増えていったと伝えられています。

 聖書のアダムとエバ

「神である主は、自分の形に創造し、男と女に創造した。……そして、東の方、エデンに園を設けて、その造った人をそこに置いた。」(創1:27、2:8)

「しかし、神は上なる大空に命じて、天の戸を開き、彼らの上にマナを降らせて食べさせ、天の穀物を彼らに与えられた。」(詩78:23〜24)

モーセは言った「誰も、それを、朝まで残しておいてはならない。」(出16:19)

2.祭壇の生け贄(義本王とイサク)

 義本王の生け贄 (玉城城の神話)

義本王は琉球国最初の王統「舜天王統」の三代目の国王で44歳で即位しました。しかし、義本王が即位してのち、飢饉と疫病で国民の半数が死んでしまいました。失意の王に、白髪の老人が現れて「神様の心をなだめるためには、祭壇を設けて、火あぶりにしなければならない。」とすぐに祭壇が作られ、 義本王は縄で縛られてしまいました。白髪の老人が火を放ちました。火は勢いよく燃え上って、王の身体に燃え移ろうと したその瞬間、大地が揺れるほどの大落雷とともに、大雨が降りました。火は消え、「これは神様のお赦しがあった。」と白髪の老人が言いました。そして神様に感謝しました。(王様自身が、いけにえにされると言う伝説は、初めて知りました。 珍しいですね。)

 聖書のイサクの生け贄

神は言われた「あなたの子、あなたの愛するひとり子を連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしが示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」……アブラハムはその所に祭壇を築いた。そしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。アブラハムは手を伸ばし刀を取って自分の子イサクをほふろうとした。その時、主の天使が、彼を呼び、「わらべを手にかけてはならない。また、何も彼にしてはならない。いま、わたしはあなたが神を恐れる者であることが分かった。」(創22:2、9〜12)
 
この場所は、聖地であり、後世には、エルサレム神殿が建てられ、シオンの山とも呼ばれました。イエス・キリストが十字架にかけられた地でもあります。

3.誕生秘話 (尚円王とモーセ)

 尚円王の誕生秘話

昔、自分の赤子を亡くし、いつも嘆き悲しんでいる一人の伊是名の漁夫がいました。ある日、浜辺を歩いていると、波間に浮かぶ不思議な朱塗りの桶を見つけました。漁夫はすくい上げ、ふたを開けて見て、驚きました。赤子が入っていたのです。丁度、愛児を亡くしたばかりで、悲しんでいた漁夫は「神がさずけた、わが児の再来だ」と、とても喜んで連れ帰り、夫婦で大切に育てました。

夫婦の愛情を一身に受けて、赤子はすくすく育ち、やがて村でも評判の孝行な若者に成長しました。そして、その若者こそが、後に19代400年もの間続いた第二尚氏王統の始祖「尚円王」その人であったと伝えられています。その子が誰の子か、いまだに不明ですが、一説には義本王の流れをくむ者が辺土名の沖より流した赤子だと伝えられています。

 聖書の モーセの誕生秘話

さて、レビの家のひとりがレビの娘をめとった。女は身ごもって、男の子を生んだ。その可愛いのを見て、三か月の間隠していた。しかし、もう隠しきれなくなったので、パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中においた。……パロの娘が、身を洗おうと川に降りてきて、葦の中 の籠を見つけて、開けてみると、子供がいた。

……その子が成長して、パロの娘の息子になった。彼女はその子をモーセ名づけた。「水の中から私が引き上げたからです。」(出2:1〜10)後に、このモーセが、400年間、エジプトで奴隷になっていたイスラエルの民をエジプトから脱出させ、約束の地カナンに導き、神の民として歩む道を示した。

4.金の香炉 (首里城とソロモンの神殿)

 首里城の火の神  (テンペストの映画の中に出てきますよ)

沖縄の信仰の原型は、火の神です。昔から、女性は、火を絶やしてはいけないと言われていました。拝所には、通常三個の自然石を置いて、火の神として祀られています。首里城も例外ではなく、首里城正殿の二階おせんこみこちやの間には、火の神が祀られており、金の香炉があります。国王と神女が信仰を代々守ってきました。沖縄では、火の神といいます。この信仰は、どこから来たのでしょうか?

実は、ソロモン神殿にも同じかたちの金の香炉が置かれていたのです。大祭司以外は、そこに入ることは許されませんでした。

 聖書の祭司としてのレビ族

「また、第二の幕のうしろに、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。そこには金の香炉と、全面金でおおわれた、契約の箱とが置かれ、その中には、マナの入っている金のツボと、芽を出したアロンの杖と、契約の石板とが入ってあり、」(ヘブル9:3〜4)

「また、別の御使いが出て来て、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈りに加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。」(黙8:3)

「アロンは、そのうえで香ばしい薫香をたかなければならない、朝ごとに、ともしびを整える時、これをたかなければならない。アロンは、また夕べにともしびをともす時にも、これをたかなければならない。」(出30:7〜8)

5.王の門 (首里城とエルサレム神殿)

 首里城の継世門

首里城の継世門は、外郭の門。すえつぎ御門。世継ぎの王が外からこの門を通って入られたので、その後、閉じられたままの門になっています。

 聖書には、次のように書かれています。

「彼が私を、聖所の東向きの外の門に連れ戻ると、門は閉じていた。主はわたしに仰せられた。「この門を閉じたままにしておけ、開いてはならない。ここから誰も、入ってはならない。イスラエルの神、主が、ここからはいったのだから、 これは閉じたままにしてけ。」(エゼキエル44:1〜2)

赤田町の弥勒(ミルク)祭りのとき、弥勒が子供たちを祝福しながら歩く、その時立ち寄るのが、継世門です。その門の階段に上り、祝うのです。弥勒は鉄の杖を持って歩きます。「赤田首里殿内」の古い琉歌については、次回、詳しく話しましょう。

「……彼は、鉄の杖を持って諸国民を治め、また、全能者である神の激しい怒りの酒ふねを踏む。その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」と言う名がしるされていた。」(黙19:15〜16)

 聖書の東の門

首里城の、この継世門には、右下から水が流れる口があって自然石が敷きつめられている。

エルサレム神殿の東の門にも、神殿の右下から水が流れる口がある。

「彼はわたしを神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れでていた。神殿が東に向いていたからである。」(エゼキエル47:1)

6.聖地巡礼「東御廻り(あがりうまーい)」

沖縄にも、東方を巡回する年中行事がある。始祖アマミク族が、ニライカナイから渡来して住み着いたとされる聖地を巡拝する神行事です。天孫子ゆかりのある数か所の聖地が、首里城から見て、太陽が昇る東方に位置する東四間切(あがりゆまじり)、現在の、南城市玉城、知念、佐敷、大里に点在していることから、「東御廻り」と呼ばれています。

コースは、首里城の園比屋武御嶽→与那原新川→馬天御嶽→佐敷上城→知念ティダ御川→斎場御嶽→知念グスク→知念大川→ヤハラズカサ→受水走水→仲村淳樋川→ミントングスク→玉城グスク→そして園比屋武御嶽です。馬天御嶽から船に乗って久高島まで足を伸ばすコースもありました。この拝所は、ほとんどすべてが、聖水があります。井戸,樋川など、拝所ごとに様相は違っても、そこには香炉が置かれ、あたりに聖水の霊力が漂っている。

琉球王朝時代、国王と聞得大君による、国の繁栄と五穀豊穣を祈願するための神事として始められたものですが、やがて王族や士族だけでなく、平民層にも及び、三線やパーランクー(太鼓)を持参して、歌い踊りながら、楽しく廻ったようです。そして、門中行事として広まりました。

一方、聖書によると、イスラエルの民は、エジプトの地に400年間、奴隷の身で拘束されていました。そして、預言者モーセによって、エジプトから解放されて、荒野に脱出しましたが、すぐに約束の地、カナンに入ることができませんでした。彼らは東廻りをして、シナイ山にいき、神との契約である。「神の民」として、十戒を授かりますが、40年後にカナンの地に入ることが許されました。

荒野で仮の家に住んでいたことを思い起こす祭りとして、毎年,旧暦8月15日に「仮庵の祭り」を行っています。それは、「エルサレム巡礼」と言って、エルサレム市内のシロアムの池から神殿へ、男たちが黄金の器で、「生命の水」をくみ、夜にはシュロのたいまつを掲げて、楽器を持って、賛美を歌い、踊りながら運び、神殿に捧げました。

7.祖先崇拝(沖縄の位牌)

祖先崇拝の中心は、その位牌にあります。沖縄の各家庭に奉られています位牌には、たいてい、上下二段になっていて、中央に「帰真霊位」という文字が書かれています。この意味は、「人の霊は、死んだら、真の神のもとに帰る。また、人は土から造られました」と……。

上段には、男性の名前、下段には女性の名前が記されるように、個々の霊位が記入できるように木札がはめられています。その木札の裏には、その人の、生年月日、と死亡年月日が記されています。しかも、亡くなった順序に従い、右、左と交互に記入されます。女性の場合も同じです。

祖先崇拝では、人が亡くなってから、三十三年たったら、神になると信じられています。ですから、法要は、三十三年忌で終わります。何故でしょうか?

一方、聖書には、主なる神は、「土のチリで、人を造り、いのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きたものとなった。」(創2:7)

「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。」(伝道12:7)

イエス・キリストは33年間、この地上で生活して、教えを説かれ、多くの人を癒し、慰め、励ましてくださいました。十字架上で、全人類の罪を贖うためにお亡くなりになりました。そして、三日目によみがえりました。

「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。」(コロサイ3:1)と書かれています。すなわち、イエスは、よみがえられてから、神になられました。

わたしにとって、一番の「パワースポット」は、やはり首里城だと感じました。あなたはいかがでしようか?あなたのご意見も教えてください。
                                                                  (沖縄のルーツ紀行引用)



posted by 沖縄のホフマー at 11:01| Comment(0) | 沖縄・ユダヤ文化の類似性 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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